【移住準備】脱サラ移住を決意した2つのこと

今回は、私が脱サラし離島移住することを考えた大きなきっかけを2つ

自分が死ぬかもしれないという恐怖心を体験したこと

自分以外の人(親)の死を看取ったこと

を書きたいと思います。

普段の生活で「死」を意識することはなかなかありませんが、人は「死」を意識することで「行動」や「価値観」などが変化していくと思います。

1 自分が死ぬかもしれないという恐怖心を体験したこと

もう数年前になりますが、コロナウィルスが世界的に大流行しましたよね。

当時、コロナが感染拡大し始めていた頃、私はデルタ株に感染しました。

まだほとんどの人が1回目のコロナワクチンを打っていない頃で、私もまだワクチンを打っていませんでした。

コロナ発症

ある日、仕事が終わり帰宅する途中、急激な体調不良に見舞われました。

体調不良の内容は「下痢」と「かなり強い倦怠感」です。

下痢は水のような状態で、20分に1回トイレに行かなければならないような状況でした。

倦怠感はかなりヤバく、身体全体に何とも形容し難い強い不快感と精神的に何もやる気が起こらない無気力感、今までの人生で味わったことのない感情・・・「虚無感」(味わったことがないので、たぶん)に襲われました。

とにかく今まで経験したことのない状態のこれらの事を一言で「倦怠感」と言っていいのか分かりませんが、完全に精神不安定の状況に陥ってしまいました。

今までに感じたことのない得体の知れない大きな不安感を抱き、体に力が入らない、気力がない状態になってしまったのです。

PCR検査

そんな症状と翌日には発熱があったので、病院に検査を受けに行きました。

結果は「コロナ陽性」。

心の中ではある程度覚悟していましたが、ショックを受けるのと同時に恐怖心を抱きました。

恐怖心の理由は、当時、「軽い症状で自宅療養していた人の病状が急変して亡くなる」ということが頻繁にテレビ報道されていたからです。

地獄の宿泊療養

このあと、数日間の自宅療養の後、宿泊療養となりました。

宿泊療養では「もう死んでしまうかもしれない」という苦しい症状に何度も襲われました。

肺が痛く、息苦しい状態と全身の関節痛と筋肉痛もハンパない状態が続きます。

呼吸が浅くなる感じで息苦しい状態になると死を意識して恐怖心が増します。

このまま眠りに落ちてしまうとそのまま目を覚ますことができないかもしれないという恐怖心と呼吸をする意識を保つことで眠ることができない日々が続きました。

シャワーどころか洗顔すら何日もできない状態だったので、顔だけでも洗おうと思い洗面所に向かいました。

洗面所の鏡で数日ぶりに自分の顔を見ました。

自分の顔を見た瞬間、激しい眩暈と同時に自分が自分じゃないような気持ちになり、心が揺さぶられるような衝動と自分が壊れてしまうんじゃないかという恐ろしい感情に襲われ、鏡で自分の顔を見ることができない状態になってしまいました。

居ても立っても居られない精神状態になり、顔を洗うこともできないまま受話器を取り宿泊療養で待機している看護師に「自宅に帰る」と電話しました。

当時はコロナの菌が体内に残った状態の人が外出するなどご法度でしたから、かなり引き止められました。

最終的には、家内が運転する車からは外に出ることをせず自宅へ直行するということで、無理を言って帰宅することにしました。

家内にコロナがうつるかもしれないというリスクがありましたが、家内はすぐに迎えに来てくれました。

幸い、家内に感染することはありませんでしたが、それ以来、家内には頭が上がりません。

たぶん、そのまま宿泊療養を続けていたら本当に気が狂っていたと思います。

自宅療養

自宅療養に戻った後もなかなか症状が改善されず体力的にも精神的にも辛い毎日を過ごしました。

妻にも「もう仕事を続ける気力がないから辞めるかもしれん。」と伝えていました。

そんな状況でも少しづつ体内からコロナウィルスが減ってきているのでしょう。

少しづつ気力が戻ってくるのを日を追うごとに感じるようになりました。

発症から3か月ほど過ぎて、ようやく前向きになれるようになり、仕事にも復帰できるようになりました。

この「自分が死ぬかもしれないという恐怖心を体験した」こと、これが今後の人生を考えることになった一つ目のきっかけです。

【当時の宿泊療養について】

宿泊療養先に医者と看護師が待機しているとのことでしたが、本当に待機していたのかは分かりません。

噓をつくことはないとは思いますが、宿泊療養期間中、医者や看護師の回診等は一切ありませんでした。

キツい症状の時に電話で状況を伝えても「医師に伝えておきます」と言われるだけで、その後の回答や措置も全くなく、市販薬が廊下のテーブルに置かれるだけでした。

宿泊療養とは結局のところ外部から隔離されるだけで、医者や看護師が診てくれる訳ではありません。

薬については、宿泊療養前に処方された医者からの処方薬であっても飲むことを許されません。

持参した市販薬等も一切服用できません。

唯一服用を許されるのは療養施設から出される解熱剤等の市販薬のみとなります。

宿泊療養先から電話でかかりつけ医にオンライン診療をしてもらい処方薬を出してもらうことにしましたが、宿泊療養の看護師から医師の許可がないと処方薬は宿泊療養施設内には入れられないと断られ、最終的に処方薬を入れてもらうことはできませんでした。

今後、コロナウィルスのように別のウィルス性の感染症が発生した場合、同じような宿泊療養の措置が行われると思いますが、本当に軽い症状だけの人なら家族に感染させる心配がないので入所した方が良いと思いますが、私は絶対に入所しません。

この入所は強制ではなく、あくまで任意ですから。

2 自分以外の人(親)の死を看取ったこと

もう一つの大きなきっかけとなった出来事として、父親の死を看取ったという事があります。

父は肺癌で亡くなりました。

肺癌治療を受けている時、医師から呼ばれ、最後の緩和ケアは緩和ケア室で過ごすか自宅で過ごすかという2択から選ばなければなりませんでした。

父も私も当然、「自宅で緩和ケアを受けたい」という回答をしました。

それから、自宅にベッドや手すり、酸素ボンベなどを設置し、病室のように準備をしました。

当時はまだコロナウィルスが5類になっておらずコロナ渦の最中でしたので、父の体調が急変して緊急搬送されてから看取るまで、私一人だけが付き添える状況でした。

医師からは「もう身体はボロボロの状態で、いつ亡くなってもおかしくない。今後は痛みと息苦しさをとる緩和措置しかできない」「もって2~3日だろう」と告げられました。

このような事態になる以前に、医師から確認されていたことがあります。

  • 心臓が止まった時に延命措置をするのか
  • 心臓が止まっても延命措置をしないのか

私達家族は悩みましたが、医師から「心臓マッサージなどの延命措置をすれば肋骨が折れることがある。」と言われたことで、私達は「何度も苦しみや痛みなどを味合わせたくない」という思いで、延命措置はしないようにしてもらいました。

病院のベッドで父が痛みで苦しんでいる様子を見るのが辛く、看護師さんに何度も鎮静剤をしてもらい、痛みを和らげてもらいました。

そんな極限の状態でも父は私の事を「大丈夫か」と気遣ってくれていたのです。

私も「薬が効いてくれば体調は良くなるやろうけん」「体調が良くなれば家に帰れるけん」などと言って、父を励まし続けました。

私は3日間一睡もすることなく、父が息を引き取る最後まで見届けました。

父親の死を看取ることができて本当に良かったと思います。

この一睡もしなかった3日間、父を見ながら、移住の事なども含めて人生の様々な事を考えました。

最後に

「きっかけ」というのは当然、人それぞれあると思います。

大事なのは、何かを志す「きっかけ」の後、それを実現する為に「行動を起こす」ことだと思います。

人生は一度きりです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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